有田あんの記録

劇団鹿殺し劇団員、兼 野生児童主宰です。

小さな考察。 ーそんな顔、あたしなんかに見せちゃだめよ。ー

そんな顔、あたしなんかに見せちゃだめじゃん。電車に乗ると、ふと思う時がある。

公共の場の代表格でもある駅、電車。青春18きっぷというものがありますが、電車を使えば東京から大阪にも行けちゃう。すっごい便利な移動ツール。

旅に出る・移動する時は電車に乗るために駅へ。コーヒーを飲みたい時は喫茶店へ。映画を観たい時は映画館へ。ゲームはゲームセンターへ。遊びたい時は遊園地、ライブハウス、山へ、川へ。

世の中には行動の目的に合わせて専用の場所が沢山設けられている。しかし、便利になるにつれてわざわざ外出しなくても自宅で欲求が満たされるようになった。スマホのお蔭である。手のひらサイズの機械に沢山の情報と夢とロマンと娯楽が詰め込まれている。

例え公共の場に居ても、スマホがあればそこは個人の世界になる。電車は今や沢山の個人空間が共存する列車。まるで、ガラスのマンションにタイヤがついて移動しているようである。その中で人々の表情は笑顔、真剣、何人かは必死に、親指を動かしながらスマホを覗いている。駅では、乗り降りする時も、改札を通る時も、片時も離さない。あんなに不特定多数の人間がいるのにプライベートをさらしまくってる。家の中にいるかのように自分の世界を楽しむ人がいっぱい。時には、

もう家にいる時の顔やん!そんな表情は恋人の前だけにしとき!

ってつっこみたくなる表情をしている人もいる。めちゃくちゃ不思議。しかし、もっと不思議なのは、本を読んだり、音楽を聞いたり。これも個人的な行為なはずなのにスマホをのぞいている人と少し印象が違う。何が違うのかなって、考えたんだけど。シンプルに「スマホ」というのはあの小ささが魅力なのだが、それが公の場では裏目となり、あの小さな機械を覗いていると自然と視野が狭くなり、空間把握ができなくなるのでは、と思う。それが隣の人さえ気にしていないようにみえる要因な気がする。

学生時代、体育は体育館、運動場、プール。美術は美術室でならったように、大人になっても行動に伴った場所があるんだと思う。だからね、公共の場は周囲の人に配慮して行動すべきなんだろうなって。電車の中は自由みたいな風潮がすごいけど、それは「周囲への影響を考える」ことが前提なんだよね、きっと。

スマホを見るな!なんてもちろん言わないけど、
「行動に伴った場所。場所に伴った行動。」
こんなことを一度見直しても良いのかもなあって。もちろん自分も含めてね。思ったりしたので共有してみました。